2019
05.20
ブルックスブラザーズの歴史

ブルックスブラザーズの歴史

Brooks Brothers, アメトラとは?

ブランドの誕生

ブルックスブラザーズ(Brooks Brothers)の誕生のきっかけは1818年にヘンリー・サンズ・ブルックスがHSブルックス商会というネーミングにおいてニューヨークに創業したのが全ての始まりです。
創業においての基本理念は「最高品質の商品のみを製作し取扱う。適正な利益だけを含んだ価格で商品の販売を行い、この様な価値を商品に求め、この価値を理解することのできる顧客のみと、商取引を行うこと」でした。
1833年に創業者でもあるヘンリー・サンズ・ブルックスが亡くなった後に長男のヘンリー・ジュニアが会社の経営を引き継ぐこととなったのです。

アメリカ合衆国での既成スーツの販売開始

1845年、アメリカ合衆国における史上初の既成スーツの販売を開始します。
1849年にはカリフォルニアで発生したゴールドラッシュの際に、仕立屋の悠長な仕上がりを待ちきれない開拓者が既成スーツを求めて大量に店舗に押し寄せたという伝説が残っています。1850年、ヘンリー・ジュニアの弟達のダニエルとジョン、エドワード、エリシャの4名が事業継承する事となり、この時に社名もブルックスブラザーズ変更されました。

アメリカでの人気の広がり

ブルックスブラザーズはブランドのシンボルマークでもある金羊毛を商標として採用しました。
リボンで吊り下げられている子羊の絵柄は、長きに渡る英国においての毛織物商のシンボルとなっていました。
1858年にブルックスブラザーズは2店目となる実店舗をブロードウェイ、グランドストリートの交差点にオープンさせました。
この店舗は「全ての大陸の中でも最も堂々としており、また品揃えが豊富な衣料品店である」との評判を得ることとなりました。
店舗は1869年に一度閉店し、一時的にユニオンスクウェアへ、そしてボンドストリートとブロードウェイの交差点へと移転しました。
1865年には当時の大統領であるエイブラハム・リンカーンが2度目の就任式の際にブルックスブラザーズが特別に仕立てた上着を着用しました。
この上着には鷹と「ひとつの国、ひとつの革命」という銘をデザインした刺繍を施してある事でも知られていました。
リンカーンはこの上着を大変気に入り、彼がフォード劇場にて暗殺された夜に着用していたのが、奇しくもこの上着だったのです。
1890年、ブルックスブラザーズの親密なパートナーでもあったフランシス・G・ロイドがイギリスよりシルクフーラードタイを持ち帰り、このネクタイは瞬く間にアメリカ全土へと広がります。当時、彼が持ち帰ってきたネクタイのデザインは、今もなお使われ続けているのです。

「レップタイ」の旋風

1902年、ブルックスブラザーズはファッション業界において大きなトレンドを確立しました。それは、レップタイです。
斜めの縞模様のこのネクタイは、英国のクラブや軍隊のネクタイをヒントにして縞の方向を逆にし、米国風へとアレンジしたのです。
発表と同時にすぐさま定番となったこの商品は1950年代に入ると、アイビールック、ブルックスブラザーズと同義語になるくらいに広く認知されていったのです。

シェトランドセーター

1904年、ブルックスブラザーズのコレクションにシェトランドセーターが仲間入りしました。
元々はシェトランド諸島の農民による手作りのセーターでしたが、ブルックスブラザーズが取り入れた事によって洗練さが加わり、アメリカンクラッシックの代表アイテムとして世界中に受け入れられる事になったのです。
1915年にはブルックスブラザーズはマディソン街346番地に移転しました。
この地はエール大学やハーバード大学のクラブやニューヨークヨットクラブなど、当時のアメリカで有名な社会組織に好まれた地域でした。
今現在もこの地には10階建てのブルックスブラザーズの本店があり、世界中の人々が訪れています。

マドラスチェックの紹介

1920年、ブルックスブラザーズは今では定番となったインドのマドラスチェックを初めてアメリカ合衆国内に紹介しました。
上品でありながらもカジュアルテイストを感じさせるマドラスチェックは水着やジャケット、ズボンの形でアメリカのバイヤー達へと提案するとすぐさまにファッションアイテムとして取り入れられる事となりました。

大流行したボタンダウンシャツ

1949年、ファッション誌「ヴォーグ」の表紙にブルックスブラザーズのメンズのピンクボタンダウンシャツを着用した女性が掲載されました。
その表紙を見たファッションとお洒落に敏感な女性達は同じシャツを求めて店舗に殺到しました。
一夜にしてブルックスブラザーズのボタンダウンシャツが大流行を巻き起こしたのです。

アーガイル柄ソックス

1949年にブルックスブラザーズの社長であったジョン・クラーク・ウッドがあるゴルファーの足元に注目しました。
彼が穿いていたソックスが人目を引く手編みの模様だったのです。
社長は即座にそのゴルファーから手編みのパターンを借り受けて、商品として発売したのです。
こうしてブルックスブラザーズは米国で初めてアーガイル柄のソックスを取り扱ったのです。
1965年、ブルックスブラザーズはウィンストン・チャーチルやフレッド・アステアなどの靴を特注で製造していたイギリスで著名な企業であったピール社の廃業に伴って、同社の靴型やパターン、商標を買い取ったのです。
また1969年に入るとボストンやシカゴ、ワシントンDC、サンフランシスコなど、次々に10店舗を構えて新規店舗を拡張していきました。
このタイミングからブルックスブラザーズの国外進出が本格的に始まったのでした。

初海外事業は日本がはじまり

ブルックスブラザーズ(Brooks Brothers )として初めての海外事業展開は嬉しくも我々が住む日本だったのは意外にも知られていない事実なのです。
クラシックで主張の強すぎないアメリカンスタイルは日本でも幅広い年齢層に受け入れられ、東京、青山の日本店第1号以来、2008年までには実に75拠点、83店舗にまで拡大していったのです。

プレッピースタイルの復活

1980年代初頭にはファッション業界においてプレッピー・スタイルが復活の兆しを見せました。
アイビールックな装いに若者のテイストを織り交ぜ、上質でトラッドな服をあえて着崩すファッションコーディネートとして知られるプレッピースタイルが
再びシーンの中心へと躍り出たことにより、ブルックスブラザーズのボタンダウンのポロカラーシャツやシェトランドセーターなど、かつて一世風靡した商品が再び脚光を浴び、多く販売されることとなったのです。

長い歴史と伝統

2001年、リテール・ブランド・アライアンス(Retail Brand Alliance)がブルックスブラザーズを買い取りました。
同社に買い取られるまでのブルックスブラザーズの親会社はマークス&スペンサー社(Marks & Spencer)でした。
CEOのクラウディオ・デル・ベッチオ(Claudio Del Vecchio)はブルックスブラザーズのアイテムに伝統と価値、そして品質を取り戻すというビジョンを共有できるチームを編成し、ブルックスブラザーズが本来あるべき姿を大切に守っていく考えを表明したのでした。2002年にはブルックスブラザーズの持つ長い歴史と伝統のアーカイブを、より高い基準で新たな色彩の組み合わせ及び素材や生地を、選び抜くためのヒントとして活用し始めました。
これにより、ブルックスブラザーズのネクタイやジャケット、スーツが再びファッション業界の中心に君臨するとともに、品揃えが豊富になったことで品質もより高いものへと回復することに成功したのでした。

カントリーコレクション

2003年4月に新しく導入されたカントリーコレクションは着心地と品質、そして気品という3つの基準を満たした新しいライフスタイルアイテムのラインです。
この3つの軸にしっかりと焦点を合わせたスポーツラインは、テニスやゴルフなどのスポーツ用として限定されることはなく、コースからクラブハウスへ、
そして最終的にはダイニングルームまで移動しても違和感が全くないデザインとして世界的に注目を集めています。
2003年の秋にはブルックスブラザーズは、クラッシックアメリカンスタイルの誕生185周年を祝うとともに、広告キャンペーンを大々的に展開したのでした。
ブルックスブラザーズは2度にわたる世界大戦や内戦を乗り越え、アメリカ政府、アメリカ経済の変化を見つめ続けてきました。
それらの積み重ねが格式高い伝統となり、価値に基づいた老舗としてのこだわりと評判を大切に商品を現在まで生み出し続けているのです。

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